zsupohs

鬱みたいな日記

少女終末旅行という作品について

最近、少女終末旅行という作品を知り、アニメを観るとともに原作も読んだのですが、これが素晴らしい作品でとても感動したので、ここにメモしておきます。

物語を簡単に説明すると、文明が崩壊した絶望の世界の中を二人の少女がひたすら上層へ向かって(この世界は階層的な構造で成り立っているのです)旅をしていくとともに、その過程で色々な出来事を体験していくという道中記です。

人生はよく旅に喩えられますが、恥ずかしながら、私はこの終末旅行に自分の人生を重ね合わせてしまった部分もあるんです。少女終末旅行が終わった世界のその後の物語であることと、私の世界が既に終わっているということ、つまり、もうこの人生は生きる価値がないなあという実感とを重ね合わせてしまっているんです。しかし、世界が終わろうが命が続く限り生き続けなければならず、この終わった絶望の世界でなんのために生き続けるのかと考えていたところで、この少女終末旅行という作品を知ってしまい、私は熱中してしまいました。

少女終末旅行の旅はあるきっかけから強いられて始まった旅なのですが、きっかけと同時にその目的も神勅のように示されていて、彼女らは疑いを挟む余地もなく、その目的に向かって幾多の困難に遭遇しながらひたすら旅をしていきます。人類がほぼ絶滅したかと思われるような世界、人類の歴史からも隔絶した圧倒的な孤独の中でさえ、二人の旅になぜかあまり悲壮感がないのが不思議です。

原作の各話では、それぞれのテーマに対して丁寧に物語が展開されており、どれも一篇の美しい詩を読んだかのような(私は詩は読まないんですが)読了感に心を満たしてくれます。終末の世界ということで時間を取り扱った話も多く、意識が遠のくような永劫の歴史の感覚につい恍惚としてしまうようなお話もあります。

私が特に好きな話は『離陸』『電車』『美術』『忘却』です。『離陸』についてはアニメ6話で取り上げられた話ですが、私はこれを観るまでは単なる雰囲気アニメだと思って観ていました。しかし、この話を視聴して雷に打たれたような衝撃を覚えてしまい(なぜこんな衝撃を覚えたのか全然分からないんですが)、この作品は凄い作品だ……原作も全部読まなければ、と熱中した次第です。そして原作は期待を更に凌駕していました。

私の貧しい表現力ではこの珠玉の作品の一欠片さえ説明できずにいるので非常にもどかしい思いですが、『BLAME!』が好きな人なら結構好きになる作品だと思います。ただ、個人的には『BLAME!』以上の感傷に浸れてしまう……特に、既刊を読了してから改めてアニメのED映像を観ると、今風に言うと「エモい」気分になると思います。

10月9日のお気持ち

今日出かけようと思ったけど朝起きたらまあ……出かけるほどでもないか……ってスナネコちゃんになってしまったので今日もいつも通り過ごすことにします。でもまあ近所の博物館にでも行こうかな。特に興味はないけど。

 

追記:博物館行きました。クソつまらなかった。

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10月8日のお気持ち

今日はいつものように、Netflixで映画を観たり、ゲームをしたり、ネットを徘徊したりすることに一日の大半を費やした。やらなければならないかもしれないことは多くあるけれども、やる気が出ない。どうせやってももうどうにもならないんだろうな、みたいな諦めが強い。平日では時間を決めて「一般的に有意義と考えられること」に取り組むようにしてはいるものの、最近はなんとなく効率性や集中力が落ちてきて、身になっていない気がする。どうも意志を持って物事に取り組むことができない。もうどうにもならないという気持ちが先行して、物事に真剣に取り組めなくなってきているのだろうけれど、その気持ちをどう解決すればいいのかがわからない。だから、平日はまだ仕事(と言えるほどでもないカスみたいな作業)の延長線上で気持ちをごまかして何とか取り組めるものの、休日は本当に「一般的に有意義と考えられること」が何一つできない。

この毎日がこれから何年も続き、日が経つにつれてごまかしが一つ一つ剥がれ落ちていって、もはや本当にどうにもならなくなる決定的な日がいつか来るんだろうなという不安でいっぱいである。今何かをすることでそれを避けられるのなら、それに全力に取り組みたいが、何をしたらいいかわからない上、もう時期を逸してしまったんじゃないかという後悔の念がある。何もかも気づくのが遅すぎる。人生でどれくらい早めに気づくかで決まってくる。自分は気づけなかった。

劣等感がある。学生時代、自分は興味があると思い込んでいた専攻で、しかし実はなんの興味もなかったと入学してから発覚した専攻について怠慢であったことにすごく劣等感があるので、それについての本を今日改めて少し読んでみた。なんて無意味な研究なんだろう。こんなことが本当になんの役に立つんだろうか。王朝国家という歴史概念の成立の基本指標の一つに公田官物率法の成立があるなんてどうでもいいんじゃないか。でも歴史への愛着はアイドルオタクの推しアイドルへの愛着と同等なもので、同好の士の間で好んで楽しめればいいのかもしれない。それが、かつて嗣永桃子というアイドルがいてね……みたいに語り継がれて、一般にも興趣の対象として浸透すればいいのかもしれない。ただ自分は楽しめなかった。

 明日は出かけよう。

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