zsupohs

鬱みたいな日記

10月9日のお気持ち

今日出かけようと思ったけど朝起きたらまあ……出かけるほどでもないか……ってスナネコちゃんになってしまったので今日もいつも通り過ごすことにします。でもまあ近所の博物館にでも行こうかな。特に興味はないけど。

 

追記:博物館行きました。クソつまらなかった。

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10月8日のお気持ち

今日はいつものように、Netflixで映画を観たり、ゲームをしたり、ネットを徘徊したりすることに一日の大半を費やした。やらなければならないかもしれないことは多くあるけれども、やる気が出ない。どうせやってももうどうにもならないんだろうな、みたいな諦めが強い。平日では時間を決めて「一般的に有意義と考えられること」に取り組むようにしてはいるものの、最近はなんとなく効率性や集中力が落ちてきて、身になっていない気がする。どうも意志を持って物事に取り組むことができない。もうどうにもならないという気持ちが先行して、物事に真剣に取り組めなくなってきているのだろうけれど、その気持ちをどう解決すればいいのかがわからない。だから、平日はまだ仕事(と言えるほどでもないカスみたいな作業)の延長線上で気持ちをごまかして何とか取り組めるものの、休日は本当に「一般的に有意義と考えられること」が何一つできない。

この毎日がこれから何年も続き、日が経つにつれてごまかしが一つ一つ剥がれ落ちていって、もはや本当にどうにもならなくなる決定的な日がいつか来るんだろうなという不安でいっぱいである。今何かをすることでそれを避けられるのなら、それに全力に取り組みたいが、何をしたらいいかわからない上、もう時期を逸してしまったんじゃないかという後悔の念がある。何もかも気づくのが遅すぎる。人生でどれくらい早めに気づくかで決まってくる。自分は気づけなかった。

劣等感がある。学生時代、自分は興味があると思い込んでいた専攻で、しかし実はなんの興味もなかったと入学してから発覚した専攻について怠慢であったことにすごく劣等感があるので、それについての本を今日改めて少し読んでみた。なんて無意味な研究なんだろう。こんなことが本当になんの役に立つんだろうか。王朝国家という歴史概念の成立の基本指標の一つに公田官物率法の成立があるなんてどうでもいいんじゃないか。でも歴史への愛着はアイドルオタクの推しアイドルへの愛着と同等なもので、同好の士の間で好んで楽しめればいいのかもしれない。それが、かつて嗣永桃子というアイドルがいてね……みたいに語り継がれて、一般にも興趣の対象として浸透すればいいのかもしれない。ただ自分は楽しめなかった。

 明日は出かけよう。

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ヒトの心は難しいですか?

休日がやってくるたびに、はてこのどうしようもない自我は何をしたら喜んだり、楽しんだりしてくれるんだろうかと思案するものの全く見当が付かないまま時間が溶けてゆくこの繰り返しの日常に、私はすっかり厭気が差している。心に自然に発生する悲しみや憎しみ、妬みといった負の感情に比べて、この人生には喜びや楽しみの発生率が遥かに少ない。主観的に見る限りなぜ私の人生は他の人間と比べて喜びや楽しみが少なく苦痛を感じる度合いが高いのかということについて、ここ数年の間考えていたが、往年の奇行や現状の無能を鑑みて、それは私の脳器質におそらく欠陥があるのであろうという結論に達した。

ところで、ちまたで人生の不遇を嘆いている者がおよそ孤立とはかけ離れているのは何故なのだろうか? これは人間の最も汚い感情である嫉みであり、こういうことを述べるのは本当にみっともないことだと自覚しているが、言わざるを得ない。配偶者がいたり、恋愛をしたり、十分な関係を保持していたりするのに自身の人生を不遇だと思っている人間には失笑せざるを得ない。不幸中の幸いに、孤独という人生最大の貧困を体現している人間はネット上にちらほらいるものの、彼らはその仕打ちから、大抵心に激しい歪みを生じているか、或いは発狂している為、彼らの苦悩が正当なものとして顧みられることはない。彼らは他の人間からふんだんに軽蔑され、嘲笑され、存在を侮辱されているため、自己肯定感が皆無であり、息をするように自己卑下の念を抱く。その態度がますます彼に対する軽視を促し、彼は負のスパイラルに陥っていく。それを断ち切るにはまさしく他者による無条件の愛が必要なのである……でもそんなものはない。ない。

自己欺瞞はもう嫌だ。せめて負の感情にだけは誠実に向き合いたい。こういう時かばんちゃんならどうするか?ということを考えればいい。わかんないや!!!!沿いも一日ばんがる沿い!!!!!