zsupohs

るんるんりる

踊る赤ちゃん人間

はじめに

 無気力・無関心・無責任といういわゆる「三無主義」は、1980年代の若者の気質傾向を一方的且つ断定的に評価する際の文脈で、「しらけ世代」とともにしばしば使われる言葉です。また、現代の若者気質を表す言葉に「さとり世代」というものがあり、このさとり世代は先述した三無主義を変質的に継承しております。特徴としては下記のようなものが挙げられます(適当に名称をつけました)。

 

  • 反既存価値 伝統的価値観への無関心。「自動車・ブランド品・海外旅行等に興味を持たない」

  • 草食化  現実の性に対する冷淡な態度。「恋愛に興味がない」

  • 老子化  無駄な努力や不合理な消費は避け、コスパを重視する。「欲がなく、足るを知る」

  • オタク化 自己の精神的な豊かさを重視する。「趣味にはお金をかけて熱心に取り組む」

 これらの気質(以下「さとり的気質」と呼称します)を特徴として挙げることは、さとり世代に対する断定的な評価として、差別語としての側面も強いものの、若者世代の中の「類型化された特殊集団」の特徴を概ねよく分析していると思います。私は世代論が好きではないのですが、さとり世代とされる私自身もよく当てはまる為、上記の世代評価を全面的に否定することができません。しかも、私はしらけ世代の三無主義も継承しているとようで、更に「無感動」を加えて四無主義としましょうか。良くも悪くも、私が巷で言われる若者の感性にかなり近い傾向の気質を有していることは主客両方の観点から見て妥当であると思われます。

 

赤ちゃん人間の特徴

四無主義

 前提として、赤ちゃん人間の特徴を掘り下げていきたいと思います。まず、四無主義に至る原因を考えます。なぜ無気力・無関心・無責任・無感動な気質になってしまったのか。まず、それぞれの気質を表すエピソードを提示します。

  • 無関心・無感動 私は小学生の頃から、他者に対する関心度が低く、内省的で常にボーッとしており、ゲームに一人で没頭することはあれど(同級生と協力プレイ等はしたことがありませんでした)、狭義的な感動(喜び、興奮等の感情反応)の表出に乏しい子供でした。即ち、無関心・無感動を既に具有している子供でした。

  • 無気力 無気力の「気力」を辞書的に「何かを行おうとする精神力」と捉えるならば、自発的な行動は小学校低学年の頃に「そろばんやりたい」と申し出たくらいで、それ以外は大抵周囲に流されて生きてきました。「そろばんやりたい」という申し出も、他の子がしているのを見たからというそれほど積極的でない理由からでした。このように既に無気力な、積極的に何かを行おうという意欲に缺けている子供でした。

  • 無責任 無責任については、例えば野球に強制的にやらされて一塁に配置されたことがありましたが、野球のルールが解らず、何よりも楽しくないから、という理由で誰に言うこともなく帰宅したことがあります。自分の役割や自分に期待されている行動を理解したり、その為に技能を身につける努力をしたりすることもないので、無責任な子供だったと言えるでしょう。

 こうして記憶を掘り起こすと、なんと出来損ないの問題児だったんだと我ながらうんざりします。

 以上、小学生の頃に既に四無主義を徹底していたとすると、もっと幼い頃に原因があると思われますが、両親に虐待されただとか、両親が某北の夢の国の工作員だっただとか、ロシアンマフィアに拉致されて一流の殺し屋として育てられて感情を失っただとかいう特殊な家庭環境だった訣でもなく、恐らく、ごく平凡な環境で育ちました。家庭環境に問題がないとしますと、ここでは最も蓋然性が高い原因として先天性を挙げたいと思います。

さとり的気質

 では、さとり的気質についてはどうでしょうか。これは先ほど申し上げた通り、三無主義の特殊継承であります。伝統的価値観への関心が低く(無関心)、伝統的価値観に染まり価値観を現実生活に反映する気力にも乏しい為(無気力)、さとり的気質の前二者の特徴が顕在化するのだと思われます。さらに、生存や生活への生への無関心・無気力という点から言えば、金銭を稼いで糊口を凌ぐ積極的理由に乏しく、それゆえに経済力をある程度必要とする伝統的価値観の反映は難しい。恋愛もまた経済力を必要としますし、「結婚して一人前」という伝統的価値観への無関心、生存への無関心=子孫繁栄への無関心を併せて考えると、草食化も必然的です。その結果、酸っぱいブドウの論理も働き、老子化が起こるのでしょう。

 オタク化が起こるのはなぜでしょうか。これについては、一見四無主義と相反しているように見えますが、実際のところ、両者は同類項なのです。というのは、四無主義の無感動・無関心は外的事象に対して作用するのと同じく、低次のオタク趣味は外的対象を興味対象として扱うのでなく、それを内面化し、自己の興味ある一部分として取り扱います。言い換えれば、自己満足です。高次のオタク趣味(同人活動や学術研究)になると話は別ですが、少なくとも赤ちゃん人間のオタク化は低次のそれです。

結論

健常か否か

 赤ちゃん人間は先天性を原因として、四無主義の特徴を揃え、その四無主義の結果として、さとり的気質を備えるようになったというのが蓋然性の高い仮説となります。この仮説を以てして、私は自身が発達障礙者ではないかと疑い、心療内科の門を叩いたところ、発達障礙者であるとお墨付きを貰いました。仮説が証明されましたが、しかし全ての発達障礙者が赤ちゃん人間になる訣ではありません。対人関係が得意だったり、立派に職業活動に従事していたりする発達障礙者もたくさんいらっしゃいます。それなのに、なぜ彼らと赤ちゃん人間に差が生じてしまったのでしょうか。赤ちゃん人間の精神に対する救いはあるのか?

バカでかい赤ちゃん

 結論から言うと、赤ちゃん人間は人間関係の希薄さゆえに救われないでいると思います。これまでの人生において、赤ちゃん人間は恋愛はおろか、親しい対人関係を契ったことは一度もありませんでした。赤ちゃん人間は中学生の頃まで、低次のオタク趣味的自己満足を満たすことでその生命を永らえさせていきました。そして赤ちゃん人間は受験勉強に新たなる自己満足を見出し、大学に入ったところで、赤ちゃん人間は赤ちゃん人間に気づきました。受験勉強という自己満足を失った結果、オタク趣味的自己満足に立ち返ることもできず、途方に暮れてしまった赤ちゃん人間。ナチュラルな赤ちゃんと違ってもはや何の成長性のないバカでかい赤ちゃん。赤ちゃん人間はアンデンティティー・クライシスに直面し、再構築を試みるも、自己とは自分の手で全て拵えるものではなく、他者の手を借りて、時には他者に依存して作り上げていくものだと理解する。しかし、既に赤ちゃん人間は他者から孤絶している。赤ちゃん人間は淋しさを感じないが、虚しさを感じる。共感を求めないが、実感を求める。

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである」

 孤独の虚しさに直面した赤ちゃん人間は、すべての価値基準を相対化し、信仰の道に進むことを決意するのである。赤ちゃん人間にはもはや嘲りも怒りも常識も通じない。運命を超越するのだ。人生の意味とは……。