zsupohs

鬱みたいな日記

人として軸がぶれている。

 先日、私は仕事を辞めて、今は家で引き篭り暮らしをしているのですが、ずっとこのままでいる訣にもいきません。私は賃労働者として企業に勤め、金を稼ぎ、糊口を凌がねばならないのです。 

 早く就労しなければならないと言う焦燥感を覚えながら、一方で、私の生きる道は既に閉ざされてしまっているのではないかと言う諦念が日に日に強まっているのです。就労するにしても、日本社会は私のような無能に対して、人格を持った個人ではなく、火を点けると燃え上がって死ぬガソリン程度の役割しか期待していないと言うことが痛感させられたし、私自身、自分一人を養う職業能力も生存意欲も有していないことをつくづく認識させられました。死ななければならない。別に死にたい訣ではありません。しかし、現状を鑑みると、一刻も早く命を絶つことこそが、これ以上の不快や絶望を避ける第一の手段であり、また、不快や面倒を撒き散らさなくて済む最後の手段だと思われるのです。そうは言っても、死は怖い。その上幾らでも延伸できるので、死なないでいます。生来の怠惰が死を私から遠ざけています。

 ギリシアのミダス王は賢人シノレスに「人間とは何か」について詰問した時、シノレスはこう言い返したそうです。「人間にとって一番良いことは、生まれてこなかったことだ。その次に良いのは、一刻も早く死ぬことだ」。

 確かに人生は地獄的ですが、地獄的であるからこそ、人間はそれに見合うだけの美しい仮象の世界を作らざるを得ないようです。文学とか、美術とか、哲学とか、宗教とか。私は即席で教養を身につけようとしている俗物なので、高尚なテーマには詳しく踏み込めないのですが、このような文化が人間が生きる上での支えになっているのだという陳腐な感想を抱くのです。Twitterを眺めていると、こうした生きる上での支え、換言すれば「軸」を持っている方が多いように見えます。軸なんて大それた言葉を使わなければ、興味や関心、趣味と言ってもいい。それは音楽だったり、小説だったり、絵だったりする。学問でも、仕事でも、酒でも、タバコでも、競馬でも、戸川純でも、ドゥーチェ・アンチョビでも、アイカツ!でも、プリパラでもあったりする。無論、彼ら乃至彼女らが実際それを生きる上での支えと考えているかは判りません。ただ、恐らく、それらに関する話題が豊富である為、自分の好奇心を唆る事物であると認識しているということは間違いないと思われます。そして、その好奇心を充足している間は死の存在を忘れることができるのは、死という無常を意識している場合は娑婆世界の一切は全て無価値であると悟るはずであるという観点から、明らかでしょう。死を忘れることは消極的に生の存続を保ちます。故に、好奇心も生きる支え・理由に十分成り得ると言っても差し支えはないとします。もしかしたら、価値なんてないと思いつつ、惰性で話題にしているのかもしれませんが、路傍の石と同等の扱いをしていない以上、一分の価値を見出しているのは間違いありません。

 翻って、こうした好奇心による生きる支えを得ていると思われる方たちと自分とを比べると、私は何も支えがない。軸がない。これこそ私だと語れる存在も根拠もない。例えば、プログレが好きと言っても、メロトロンがどうのだとか、変拍子がどうのだとか語れるほどの音楽的素養はありませんし、今更それを身につける努力をする気にもなりません。オカルティズムも好きなのですが、コリン・ウィルソンの『オカルト』は途中までしか読んでませんし、月刊ムーなんて開いたこともありません。大学は史学科まで行ったのですが、殆ど学究に熱心ではありませんでした。父や兄が歴史好きだから、自分も歴史が好きだと思っていたのですが、それは思い違いであったとそのとき悟りました。好きなはずなのに、得られる快楽感情は塵に等しいほど乏しい。実は好きなふりをしているからなのです。「○○が好きな(得意な)自分になりたい」という幼児的な英雄願望がある。自分は何が本当に好きなのか判らないし、何をすれば楽しいのか、何がしたいのかすら判らない……こうした中学生レベルの未成熟な自己形成を以て、就職活動に挑み、私は敗れることになりました。

 何がしたいかでなく、何ができるかで職業を選ぶというご意見は大変ご尤もな事です。私にできる仕事とはいったい……。それに、不本意な環境の中で日々ストレスと将来に対する絶望を味わいながら、楽しみもなく喜びもなく生きたところで、そこまでして生きる価値があるのかこの人生と思うのです。臥薪嘗胆の日々を送った越王勾践には倒すべき相手がいましたが、私には敵すらいない。ちなみに横山光輝の『史記』は面白かったです。伍子胥とか、楽毅とか格好良すぎます……特に連合軍を結成し怒涛の勢いで斉を追い詰める描写はもう堪らなかった記憶がありますね……昔は楽しめてたはずなんだけどなあ……あの頃に戻りたい……もう何もかも終りにしよう……。

 発達障害は私の人生のデウス・エクス・マキナであり、これまでの挫折、孤独、憂鬱、不可解を全て論理的に説明して全ての疑問やトラウマの原因を解消させてくれる怪物でした。但し、私の物語は終止符を打たれないまま何事もなく続くのですが、この怪物と共存する自信が全くありません。

特に面白いオチがある訣でも、自己啓発サイトにありがちな根性論的脳筋対処法を提示する訣でもなく、絶望感を漂わせたままこの文章は終りとなります……。