zsupohs

鬱みたいな日記

日記161223

 もう成人して幾ばくか時を経た皆さんには、充分にお分かりになる感覚と思われます。わたくし、以前は、梅雨なら梅雨の、夏なら夏の、そして年末なら年末の日々の「特別さ」を肌で実感していたものですが、現在は、そうした特別さが感じ取れなくなり、全ての日々が均質化されてきているように感じられます。それに伴って、時間自体も均質化されているようで、平日の1時間と休日の1時間が殆ど同じ価値のように感じられるのです。以前は、休日の1時間では、何かする訳でなくても愉快さを覚えていた次第ですが、現在は、平日であれ休日であれ、どちらの時間もこの上なく退屈で、時計の秒針が刻一刻とグサグサ心を苛みに来るのです。

 思うに、これは平々凡々な考えですが、時間や日々は、単純にカレンダーの区切りや平日/休日の区分だけではなく、その時々のイベントやレジャー、そして同じ時を過ごす人間関係などによって、特別さを付与されるのでしょう。学生の頃は、学校社会によるガチガチのスケジューリングによってイベントや人間関係を組まされて、種々の学校行事に取り組むとともに、平日と休日とで人間関係にメリハリが効いたからか、1日毎、1ヶ月毎の時間の質が否応なしに異なってくる。その変化の連続が退屈しのぎになったんでしょう。

 翻って、今を考えるに、興味のそそられるイベントやレジャーもありませんし、人間関係は仕事とプライベートとで異なるといえば異なりますが、どちらでも孤立しているような感じなので変わらずです。私に働きかけてくれる人間は一人もおりませんし、勿論私から働きかける人間も一人もおりません(そもそもそうした意欲もありませんが)。自分にとっては盆も正月も大晦日も誕生日も6月14日も全て同質です。

 更に、時間の均質化とともに空間の均質化も感じられます。昔は遠出すれば新鮮な気持ちになりましたが、今はどこへ行っても同じじゃあないか‥‥と思ってしまいます。無論、海外に一度も行ったことがない、私の狭隘たる人生経験を以てしてこのような無明蒙昧な発言を致しますと、寝言は寝てから言えという感がしますが、しかし、本当にどこへ行っても楽しくないんですよね。楽しむ努力はしたんですが、楽しむことに努力が必要って、それ本当の楽しさじゃないですよね。

 と、上記のようなことを考えていたんですが、今思い出したことがあります。こないだ、プライベートでは大変久しぶりに、ひとと出会って話をしたことです。私が出会った彼らは本当に素晴らしいひとたちで、私のようなズレた頭の持ち主の発言にもうまく帳尻を合わせてくださり、頭が下がる思いでした。私を(たとえ表面上だけだとしても)対等な話し相手として見てくれているようで‥‥そんなことは、それまでの生涯に一度もあったかな‥‥そこで、(本当にごくわずかですが)多少の特別さを見出していたように記憶しています。まあ〜、普通の人間は、このような特別さを感じられる機会が1年に何回もあるのかな、だとしたら退屈しないだろうな、と考えると悔しいな〜と思うんですが。

 こうしたある種の「トカトントン」が私の怠惰に原因があるということは薄々気づいてるんですが、気がついたらいつの間にかひとりになっていたんです。いつの間にか、いつだったか‥‥そして、何も楽しめなくなっていた。気がついたら、というのが特色で、大体の挫折や失敗は気がついたら‥‥というものなんですよね。みんなが失敗したくて失敗してるんじゃない、失敗すると解ってたら誰だって避けるものさ‥‥でもみんな、気がついたらとんでもない状況になってるんですね。超一流の洞察力を持つ名探偵ならともかく、平凡な人間なんですから。あっしまったな〜、やってしまった、今までの人生は間違っていたんだな〜と今ヤット気づいたんですから。ですから、もう一度チャンスをください。