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zsupohs

るんるんりる

日記161228

 人間が心から楽しいと思うときは自分について話すとき、らしいので、私もこのブログでは自分のことしか書きません。というか他に書けるようなこともないんですが。そもそも、このブログは、み〜んなと興味深いことや楽しいことを共有したいね!というたのしげな発意からではなく、後から自分で読み返すことで「あ〜この頃はこんなこと考えてたな〜」とぼんやりと振り返りたいからという理由を主として始めたものですから、自分について書くのが実は本義であるのです(また、誰かに読んでもらうことで、例えば「こんなヘンテコな奴もいるんだな……」というように、どんな形であれ、頭の片隅に自分という存在を留めてもらえる可能性があることにささやかな期待を込めながら)。

 上述の如く、自分について書く、すなわち自分の為の自分語りが本義であるんですが、それはTwitterでもよくやってることなんですよね。でも、Twitterのアカウントはよく消すので(これまでに10個くらいは消しました)、そのため記録が残らないのが妙に悲しくて(といってもクソ下らないことしか呟いてないんですけど)、また、ブログでは長文をダラダラ思いのまま書くことによりストレス発散にもなるので、やはりブログを書くことにしたというワケです。

 ところで、最近は色々と落ち込むことが多いんです。落ち込むときに考えることは、主に、過去のぼっち体験と現在の孤立状態、そして自分が孤独死する将来なんですが、思うに、原因は人生全体における人間関係の希薄さと人間関係構築能力の著しい欠如なんですよね。これについてはず〜っと悩まされていることで、何度も事あるごとにぼやいていることでもあるんですが……。

 観測されない人生は無きに等しい、というか、後から振り返ってみると、自分の人生についての記憶が殆ど無いんですよね。もし知り合いがいれば、あの時あんなことあったね〜とか分かち合えると思うんですけど、自分にはそれがないので、本当に記憶がないし、記憶を呼び起こすような誘因もない。特に大学時代、一体何をしていたのか、私は本当にあの場所に存在していたのか……。

 だから、私はそれを危惧し、いまさら焦っているんです。このままでは、今までの自分は存在しないことになってしまうのじゃないか……そういう思いもあり、こないだひとと会ったんですけど、やはり他人から存在を認識されるのは、その認識が否定的でない限りにおいて、うれしいですよね。よく僕は地蔵とかユーレイ、いたんだwwとか言われてたんで……。

 しかし、もはや取り返しのつかないところまでやってきたのではないか、という感じではあります。今思い返してみれば、色々とチャンスはあったと思うんですけど、ことごとく自分の手で失敗に終らせてきたような感じなんですね。こういう人間として生きていくしかないのか……。奇跡的に会ってくれる人間がいたとしても、現実の私に失望あるいはウンザリして、疎遠になるというBAD ENDが殆どでした。

 思うに、私にとっては、Twitterで奇矯な振る舞いをすることで他者の耳目を引こうとしたり、誰かの歓心を得るために話を合わせる材料を蒐集したりすることは、現実との乖離が大きくなり過ぎる為、全部間違いなんです。こうした振る舞いは、現実は現実、ネットはネットとピシャリと切り分けることができるほど、ネットによって空虚な現実を妄想的に充填する必要のないきちんとした人間のみが許されることなんです。自分には百害あって一利なし……しかし、だからといって他に何をすべきか皆目見当もつかない。目的がない人生。クソッタレな歳月、全くな人生……。