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zsupohs

るんるんりる

境遇を嘆いてもどうしようもないが、嘆かざるを得ない

 今日はとても好い天気だから、部屋にこもってコーヒーを飲みながら音楽を聴いています。

 

 最近は本を読まないとなと思って焦燥感でいっぱいです。こんなクソブログを書いている場合じゃないんですが、自分の問題とするところが徐々にわかってきた気がします。もっと学生の頃に本をきちんと読んでおけばよかったなと思うんですが、後悔先に立たずですから、あんまり考えることじゃありません。

 実際のところ、半ば強迫的に本なんか読んでもどうにもならないことはわかっているんですが、本当に最近はいっぱいいっぱいに思えます。ぼーっとしていた学生時代が懐かしい。仕事自体は今の所、残業が多いとか、上司から詰められるとか、人間関係が最悪とかそういうものが殆どなく、快適なんですけれども、それが逆に、仕事が問題なのではなくて、自分の真性の社会不適合を自覚させられることになってしまい、本当に自分の人格?性格?の問題は、自分が死ぬことでしか解決しないんだなと痛切に思われることころであります。今はいいんですけれども、年が経つごとに状況は徐々に悪化していくのは疑いようもありません。それでも死ぬのは怖いので、生きていくしかないんですが、早く楽になりたいという思いでいっぱいです。

 状況を改善するには努力も必要ですが、最近は努力しても何も報われない、全ては定まっているのだ……と虚無感に襲われています。生まれながらにして自閉的な性格で(最近はかなり改善もとい偽装していますが)、他人と社会的な関係を築くことができない為、私が社会でそれなりに立ち回るということは不可能であるという自覚を伴った虚無感です。必然性の絶望って言うんですか?よくわかりませんが、最近、七大陸最高峰を日本人最年少で制覇した女子大生っているじゃないですか?あんな完璧な健全性・健常性を見せつけられると、比較することすら馬鹿げていると思うんですが、自分の存在が霞んでいくと言うか、一体自分はなんなのかと悶々とせざるを得ません。

 例えば、私の同学年だったものに某人気声優がいるんですが、私が必死こいてアホみたいに勉強している一方で、某は一流家庭で一流の教育を受けて、色々な才能を持ちながら容姿にも恵まれて、声優として人気を博している。で、大学には、某だけでなく、そういう人が実にたくさんいたんですよね。幼い頃から芸術を嗜んでいたり、スポーツを経験していたり、上等な人間関係を築いていたりしてきた人々は、人間としての階級や枠組みが違うというか、いや、実際のところ、私が人間じゃないんだなと思いました。地方ではケモノみたいな人間がたくさんいますけど、私はケモノにも関わらず、分不相応にも人間になろうとしてしまった。それが挫折して、いろいろ拗らせてしまったバケモノなのかなと思います。

 そういうのを打破するには、結局努力するかないんですけれども、これは単なる根性論ですよね。また、彼らのブーストされた努力と比べると私一人の孤立的努力は塵みたいなもので、また身につけたものも、社会性を前提として発揮されるものが殆どなので、使い物になりません。 可能性の絶望って言うんですか?自分が世間並みの人物になれるとは到底思えません。

 延々と最悪な愚痴を垂れてしまいましたが、私に特に負荷なくやれることは、本を読むことくらいしかないので、本を読むしかありません。自分には圧倒的に知識が足りない。